quotation and concerning the books.by Tetsuya Machida

2006年3月3日金曜日

Berlin

1985年から1987年まで、赤坂のドイツ文化会館にあるGoethe-Institut Tokyoに通い、脆弱なマイノリティーが互いを必要とするかに寄り添う東京にサヨナラしようとした理由はふたつあった。当時ベルリンという四カ国統治都 市の、こちらにしてみれば不可解な場所性への個人的な関心がまずあり、もうひとつは、ドイツ言語の石でできた積み木のような構文構造の論理性にこの身を すっかり預けることで、思考の基礎が都度の反射の話し言葉と稚拙な書き言葉との混合で混乱するしかない日本語を、自らの言語ツールとして改新し、考えるこ とを妄想と切断したいという大袈裟で無謀な期待が膨れたからであったが、そうした事前の思惑と、実際は随分違った。
欧州大陸という足を踏み外せば 国境を越える緊張感自体、こちらにとっては馴染みの無いことであったし、16国籍の学生が集うクラスでドイツ語を学ぶという空間が、私にとって唐突で現実 離れしていた。ポーランドから来ていた人間の言語習得の早さには、欧州言語が同じラテン語という基盤を持つとはいえ、生活の必要が、日に十数時間の言語学 習を彼らのみ可能としていた。
 ツエーレンドルフという郊外の住宅地に部屋を借り、ベルリン中心のツオー駅まで電車で通う日々の中、平穏で穏やか な住宅地の眺めが、こちらの期待を日々裏切るような光景にも感じていたので、クロイツベルクの荒廃したビルのクラブに夜な夜な遊びに行き、トイレで首に注 射器を刺したまま倒れ悶絶している男や女を見ても、傍観厭世の気分で、東京と何が違うのかと思ったものだ。シックというカラーズ専用のクラブでは、こちら は色はあるが、カラーズとしての自覚とプライドが全く無いことに気づいた。5マルクのジャックダニエルで、朝までストイックに踊るブルーカラーを長い時間 眺め、つまりこちらには目にみえる抑圧を喪失した人間であり、必要、根拠、動機も薄い根無し草であったが、そのかわり、よくもまあてくてく歩いた。首に キャメラをぶら下げ、時にはヴィデオを回しながら、壁は勿論、ヴァンジーなど狡猾に放置された自然の豊かなベルリン外縁をもずるずる歩き回ったものだ。そ の歩行で喪失していたモノが「他者性」であることを理解すると同時に身体に刷り込まれていったように思う。
Institutに張り出されていたゲ イの初老の独り身の部屋に暫く住んだある時、彼は、床のカーペットを剥がすように捲って、床を正方形に切り取った隠しドアを持ち上げ、秘密なんだがと言い ながら地下室(プレイルームと彼は英語で言った)へ案内してくれた。禁断のパーティーを行う場所だと笑うが、私は彼の所作を含め人生をまるごと、全く理解 できなかった。
そして、この時、理解しようとする、自身にとってだけ都合の良い、受け止めと排除の手法でしか世界を見ていなかったのだと思い知るのだった。

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